SF短編10選

the Interviews なるサービスに登録したら「好きなSF短編を10本挙げてください」という質問が来まして。回答したら思いの外長文が書けたので、転載します。質問した方、許してください…!

基本うろ覚え。順不同。

ロバート・リード「棺」 ハヤカワ文庫『90年代SF傑作選 下』収録

90年代SF傑作選〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

90年代SF傑作選〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

ロバート・リードはサンリオで伊藤訳の長編が1冊出ているだけで、あとはぽつぽつとS-Fマガジンで短編が訳されている作家です。「棺」はしかしとても印象深く、人気があったらしく「傑作選」に収録されました。宇宙船の事故で、乗客が「ライフ・スーツ」にくるまれたまま船外に射出されます。ライフ・スーツは完全リサイクル系なので、乗客は死ぬ事もできず、栄養を与えられながら深宇宙をどこまでもいつまでも進むことになります。1000年の時が過ぎ、乗客はようやっと死を迎えますが、スーツは今度は遺体を食らうバクテリアの生命を守り始めます。もう1000年が過ぎ、ついに彼らは…という話。割とよくあるストーリー? と思われるかもしれませんが、これを短編でやってるのがキモ。私は小説でも映画でも手数重視なので、この密度にやられてしまいました。
リードは、他に「工員」「オールトの子ら」も面白かった。特に「工員」は非コミュにとってはとてもアイタタなコメディ。ちょっと2chのAAで再現して欲しいような感じ。ただし収録はないはず。

テッド・チャン「理解」 ハヤカワ文庫『あなたの人生の物語』収録

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

テッド・チャンといえば高め安定で知られた作家。どれをとっても面白いので何を選ぶか迷うのですが、あえて「理解」を選んでみました。私はこれ、チャンの渾身のギャグだと思うのですが、どうも仕掛けが分かってない人が多いみたい。ホルモン薬で超知能を身につけた2人が闘いを繰り広げます。超知能で制御が洗練されるため、身体能力も超人レベルに上がり、言語はどんどん圧縮されていき、最終的にはただ一言の「呪文」で結着がつきます。2人の視点で内面の変化が語られるため、一般には、高度なSF的思弁に軸足を置いたスタイリッシュなアクションものとして楽しまれているようです。しかし、それでは仕掛けが分かってない。これを、事情を知らない第三者の目で見ると、状況は全く違って見えてくるのです。ヒントは2人の髪が抜けた(剃った?)という描写です。この状況、客観的にはスキンヘッドがダァ!!シエリイェス!!的な聞き取り不能な怒声を発しながら小競り合いしているようにしか見えないはずなのです。つまりこの短編はパンクスが喧嘩の末、オーバードースで変死するというよくある状況をものすごくもって回った理論でSFに仕立てている一発ネタなのです。貴方の周りのDQNも、実は超知能の持ち主なのかもしれませんよ。

P.K.ディック「ウーブ身重く横たわる」 ハヤカワ文庫『アジャストメント―ディック短篇傑作選』収録

挙げないわけにはいかないが、ディックの短編はどれも同じ。さらに私は「長編なら『ザップ・ガン』と『銀河の壺直し』」とか言っちゃう所謂「ヤなディックファン」で、完成度やオリジナリティでディックを評価できないのです。短編ひとつというより、ディックの同じような短編をだらだらと受容し続ける状態が好きなんだと思う。とりあえずタイトルのかっこよさで「ウーブ」を選んでみました。ってこれ、ディックのデビュー作なのか。

コードウェイナー・スミス「クラウン・タウンの死婦人」 ハヤカワ文庫『ショイヨルという名の星』収録

シェイヨルという名の星 (ハヤカワ文庫SF―人類補完機構シリーズ)

シェイヨルという名の星 (ハヤカワ文庫SF―人類補完機構シリーズ)

最近までド・ジョーン信者だったので、長い間の信仰の記念に。口の利けるものは、犬でも猫でもロボットでもそりゃ人間でしょう。無邪気にそう思っていた時期が私にもありました。転向しましたが。彼らを人間と認めると、我々真人が障害者になってしまうことに気づいたからです。思考も遅いし身体も弱すぎる。筋論はともかく、我々は彼らを差別していくしかない。我々は彼らより劣っているんですから。

筒井康隆「チョウ」  新潮文庫『笑うな』収録

笑うな (新潮文庫)

笑うな (新潮文庫)

筒井康隆ではチョウを選びました。「時をかける少女」を除けばはじめて読んだ筒井が「笑うな」だとおもいます。中学生でした。そういう人は多いと思う。初期しか認めない原理主義者ではないし、筒井の短編にはもっと重要なものがいくつあると思うのですが、心に焼きついてしまっています。少年のペットがどんどん育って異形のものとなるモチーフや、町中に降り注ぐ鱗粉などで、一般には公害への風刺として解釈されているらしいこの作品ですが、子ども心にただただ美しいイメージに夢中になりました。最後の一文も、耽美の極みに思えます。

深堀骨「バブ熱」 ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション『アマチャ・ズルチャ 柴刈天神前風土記』収録

アマチャ・ズルチャ 柴刈天神前風土記 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

アマチャ・ズルチャ 柴刈天神前風土記 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

日本で一番変な小説を書く男、深堀骨。この人の小説を紹介するには、まずあらすじから。「バフバフ」としか喋れなくなり死に至る謎の奇病「バフ熱」に冒された男が食用洗濯鋏開発に余生を投じる。干しイカを材料に選ぶも洗濯物にイカ臭さが残るのが悩みの種……。あっ行かないで。ほんとにこういう話なんだってば。嘘じゃない。あと別に何の寓意もないです。深堀骨はこんな話ばっかりです。同時代にここまでくだらないものが読める幸せを、現代日本人は噛みしめるべきです。
もっとも、深堀骨で一番の傑作はハヤカワ・ミステリ・コンテスト佳作受賞の言葉だと思うのです。自分がいかに松下由樹に興味がないかを延々語っている。嫌いですらない。関心がない。対象が松下由樹というのも絶妙なチョイスと思うけれど、そこでやるな(笑)。

グレッグ・ベア「鏖戦」 酒井昭伸訳 『80年代SF傑作選 下』収録

80年代SF傑作選〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

80年代SF傑作選〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

だって鏖戦ですよ。鏖ときて戦ですよ。もうかっこいいに決まってるじゃないですか。ぶっちゃけストーリーはよく覚えていません。なんか戦って、グチョグチョするんですよね、多分。どうでもいいです。文体だけあればよい。ベアの作品と言うより、酒井昭伸の最高傑作というイメージが強いです。酒井昭伸さんの名前が覚えられず、ずいぶん長いこと「酒井……えーとオウセンの人」と言ってました。普通に通じましたよ。文学としてなってないとか言われつつ、実験性の高い文体の小説は結局SFとその周辺からよく出てくる気がする。

ブルース・スターリング&ルイス・シャイナー「ミラーグラスのモーツァルト」 ハヤカワ文庫『ミラーシェード―サイバーパンク・アンソロジー』 収録

ミラーシェード―サイバーパンク・アンソロジー (ハヤカワ文庫SF)

ミラーシェード―サイバーパンク・アンソロジー (ハヤカワ文庫SF)

サイバーパンクからは「蝉の女王」と迷ったけどこちらを。「蝉の女王」は連作なので。いや人類補完機構シリーズからも選んでるけども。
サイバーパンクの盛り上がりをリアルタイムで享受した世代なので、ネット空間で黒づくめがアクションするのがサイバーパンクだとは思っていません。だって当時は「ブラッド・ミュージック」がサイバーパンクの代表作のひとつに挙げられてたんですよ? サイバーパンクにおいては、パンクがサイバーと同様に重要なのです。既存のドグマをぶっつぶす。その意味で本作には驚かされました。
昔、時間SFというと、歴史線を保つことが大原則でしたが、本作ではそのドグマをあっさり捨てます。「歴史が枝分かれする!」「それがなんなの?」パンクスだから秩序なんて気にしない。時間線が増えても構わずモーツァルトを現代に連れてきて、ロックスターにしてしまう。この「それがなんなの?」がサイバーパンクです。「身体をサイボーグ化することで人間性が失われる!」「それがなんなの?」「馬鹿が薬を盗み出したもんだから人間の体がとろけて1つの意識体に!」「それがなんなの?」チンピラの楽観主義。
今では多世界SFは珍しくないので、目新しさはないかもしれません。

飛浩隆「象られた力」 ハヤカワ文庫『象られた力 kaleidscape』 収録

象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA)

象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA)

短編と言うより中編なのでしょうか。この本の収録作はどれもすごいけど、記号SFはなかなか希有なので。形が力を持つと言う考え方は、日本人にはなじみ深いわりになかなか小説としては出てきません。マンガ向きの題材なのかも。圧倒的な筆力があればこそ、このテーマに挑めるというもの。飛浩隆さんは去年のSF大会で「小説に大切なのはエロス」とおっしゃっていて、きゃー!! しびれるー! と思ったのを覚えています。

キジ・ジョンスン「孤船」『S-Fマガジン』2011年3月号収録

S-Fマガジン 2011年 03月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2011年 03月号 [雑誌]

最近の話題作の中からひとつ。前評判ほどエロくなかった。エイリアンの小型救助艇に収容された女が触手エイリアンと、穴という穴を使ってファーストコンタクトするという話。触手ものというと強制的にイかされ続けるみたいなのを想像するけれど(エロマンガの読み過ぎです)、なんか微妙に具合が良くなくて、ちょっと調整してみたり、落としどころを見つけようとするあたりが、なんとも嫌な感じです。耽美に堕としてくれない。この作品、セックスと言うより結婚を暗喩しているんじゃないかと思うのですよ。付随する人間関係も、労働も、子育ても、全ての社会的側面を廃した、純粋な二人だけの結婚生活というものがあるなら、それはこういう感じなのではないかと。
リード「棺」といいこれといい、もしかしたら「狭いカプセル的なものに詰め込まれて大宇宙を漂う」という状況にコンプレックスがあるのかもしれません。
そしてまあ、言ってしまいますよね「Nice Boat.」と。