エターナル・サンシャイン
ハコはシネマ・ロサ。ここへ行くときは正面から入らず、ロマンス通り側からロサ会館を突っ切る。「映画館→」の張り紙*1を頼りに、ゲーセンと言うより「インベーダーセンター」、エログッズ屋、繁盛してるのはモツが臭そうな居酒屋だけで後はゴーストタウンと化している飲食街等々の地獄巡りをできる。
さて。
これはいい!楽しい楽しい。
グダグダな恋愛模様に「嫌な人間に関する記憶を消す会社があったら…」という外挿を施したど真ん中SF映画。本来こういうのをこそSF映画というのではないのか。
映像面では、空間を自由にすっ飛ばすシーン割りが気持ちいい。この監督の得意技なのね。最近映画見てないから知らなかったけど楽しい。
シーンとシーンの間には時間経過と空間移動があり、それは語りの都合で省略される。その部分は観衆がフツーに脳内補完する。そして従来のシーン割りというのは、時間を飛ばしているわけだ。
- 外出先でエピソード1
- うちに帰る
- うちの中でエピソード2
という時間軸で、2に意味がない場合、普通
- シーン1 外出先でエピソード1→うちへ帰ろうと出ていく登場人物。最後のカットでちょっとだけ帰宅途中を見せる
- シーン2 ドアを開け、帰宅する主人公。→エピソード2
というコンテにする。つまり帰宅途中の時間を飛ばすのだが、この映画では、帰宅途中の空間もすっ飛ばしてしまう。つまり
- 外出先でエピソード1
- うちのドアを開けて帰ってくる主人公。ドアの外は地続きでまんま外出先(見えてる!!)→エピソード2
という処理になる*2。
従来のシーン割りが時間だけを跳ばしていたのは、単に技術的な制約にすぎなかったのかも。今はCGがあるのだから、エピソードがある場所同士をCG処理でつなぐことも楽にできる。*3。
この映画は主人公の脳内と脳外が交互に現れるストーリーだが、このような処理は脳外の場面でも使われる。つまり記憶や妄想を表そうとしてやってるわけではないのだな。従来の映画で、シーンが変わるたびに「主人公がワープした!変だ!」と騒ぐバカがいないように、これからはこう言うのが普通になるのか? 理屈では、フィクションの構造として、この空間飛ばし方式が従来の時間飛ばしより特別突飛だと言うこともないのだし……*4。
などといっても実験映画に陥らず、あくまでエンタテインメント。脳内/回想と現実/現在でヒロインの髪の色を変えるなど、親切設計。リラックスして楽しめた。
ケイト・ウィンスレットとキルスティン・ダンストって2大不細工大競演かよ*5!と思っていたが、二人ともところどころで可愛い。「ブスのかわいさは俺だけが知っている」萌えな監督なのだろうか。ジム・キャリー、ナイーブな感じを好演。顔しか動かせないシーンがあるので、顔芸も楽しめます。イライジャ・ウッド、卑怯者の変態を気持ちわるーく好演。この人は明らかにこういうキモイ系の資質よね。
SFジャンルに連綿と連なる「出会い続ける恋人達」モノなのだが、ベタなロマンティシズムでなく、苦くも前向きなラストで抵抗ない。全国1万人の男性SFファン諸兄に叩かれそうだが、私は夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))がキモくて仕方がない。でもこれはいいと思いました。