僕とおばあさんとイリコとイラリオン

僕とおばあさんとイリコとイラリオン

僕とおばあさんとイリコとイラリオン

ジャケ買い
暮らしの手帖のようなレトロなカバー*1に、布貼り箔押しの豪華な本体。渋い赤茶と黄色の花布も麗しい。しかし、スピンはつけてください>未知谷さん。そんなに原価かからないはずです。

ところがところが読んでみると。この装丁、内容に全く沿ってないです。これは装画を赤塚不二夫に描かせなきゃ。暴走ぼけまくり家族と巻き込まれご近所!涙あり笑いあり!乱射あり爆発あり!!電車で読んでて口が波ダーシになって困ったぞ(^〜^)。

そんな「おそ松君」みたいなモノが国民的文学として何十年も祭り上げられているのも凄い。
しかも普通、外国で生活していて、近所に自国語を学んでいる学生がいたとして、いきなり「おそ松君」薦めるかあ?グルジア人は結構おもしろそうな人たちだ。


ここからはちょっとウザイ話。
あちこちの評で見かける、つか訳者のスタンスからしてそうなんだけど、グルジアの過酷な状況をこの小説の裏から読み取って深刻ぶる論調には賛成できない。『五体不満足』に出てくる「乙武君の泳ぐ姿を見て涙ぐむ関係ないオバハン」に感じるような気色悪さを感じる。政治犯として銃殺されたのは作者ドゥンバゼの父であって主人公ズラブの父ではない。「自伝的小説」といっても、だ。

舞台は作者渾身のユートピアだ。舞台裏の心配などせず、ズラブといっしょに楽しくおじさんたちと遊ぶのが、楽園を提供された読者の勤めというものだろう。

*1:裏表紙のコンポジション最高!