わたしを離さないで

わたしを離さないで

わたしを離さないで

カズオ・イシグロの小説は、文章に酔わせてもらいはするが、いまいち意図がよくわからないできた*1。しかし、今回は分かりやすかった。

自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーと愛する人々がたどった数奇で皮肉な運命に……。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく。――

ちょっとSF読んでる人なら、「提供者」という言葉でヘールシャムが何のための施設か即座に分かるだろう。そうですそれです。まあ陳腐な舞台設定と言っていい。しかしそれはあまり問題ではない。むしろ重要なのは、「図画工作に極端に力を入れた」の部分だし、ここには出てこないが、主人公が女性のエロ写真に興味を持っているというエピソード。この手の話に慣れている人にとっても、これらは「?」と思わされる部分だろう。この二つは、理由が明かされた瞬間ボロボロ泣かされます。

さらに言えば、この小説のキモは「ヘールシャムって何なのか」が明らかにされる、そのされ方だ。月並みなSFだと、以下の様に話が進む。

主人公たちは幸せな寄宿生活に疑問を抱かず生活しているが、あるとき何か決定的な事柄が起こって自分たちの出生に疑問を抱き、ヘールシャムの秘密を探り始める。そして知らされる残酷な事実! 彼らは自分の生命をかけて、脱出をはかる。立ちはだかる保護官たち! 襲いかかる差別の嵐! はたして彼らは自由の地を見つけることができるのかーーーー

ところが、この作品ではそんな風にドラマチックに裏事情が明かされたりはしないのですね。生徒たちは何となく、自分の出生や自分の将来について分かってくるし、罰則でガチガチに縛られていなくても脱走したりはしない。生徒同士で話していても、それについて明確に話題にしたり、否定的な意見を言う雰囲気にならない。この辺りの描き方は最高に上手いです。

ヘールシャムの生徒たちの人生に明確な敵なんて現れないし、過酷な運命は突然宣告されたりしない。だから奪われたものを戦って勝ち取ることはできない。時間をかけて納得させられてしまうのだ。結局キャシーはその非道なシステムのために働き、しかも意外とそれに才能があったりして、生き甲斐すら感じている。しかしそれは、私たちも同じ。世間一般でポジティブシンキングとか自己実現なんて言われて持ち上げられている生き方だって、キャシーのやってることと何も変わらないんじゃないか。そんな風につきつけてくる小説です。

*1:たとえば『日の名残り (ハヤカワepi文庫)』ってのは何なんですか? ありがちな「老人が人生を振り返る旅」ってだけの話のはずはないし。旅の最後で、主人公が悔恨の涙を流す場所をベタベタに通俗的な観光地とし、周囲に観光客をたくさん置くことで、主人公をして己の人生を「オレの人生、くだらなかったなあああ」と結論づけさせる、その最後で全てナシにする感じがいいのですか?全然違ってたらすみません。