貴志祐介『新世界より』1 PKについて
- 作者: 貴志祐介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/01/24
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上巻の最後、一人目が脱落したあたりから面白くなってきました。
PK(サイコキネシス)についてよく考えてあるのがミソ。超能力物は多々あれど、PKってあまりに軽く扱われてきた。サイコキノって重い物をもちあげるだけの筋肉バカ風に描かれるけど、「思った通りに物を動かせる」能力を導入して、エネルギー供給の問題も解決されてると仮定すれば、なんでもありになるはずなんだ。
殺人がしたければ、エネルギーボールなんかぶつけなくても、相手の心臓をつまんで固定するだけでいい。思っただけで何でも動かせるんだから、物性だって変化させられるし、「核を分裂させよう」と考えたら核兵器実現。
それどころか、他のESPでできる事は、時間の操作以外、サイコキノは全部できる。分子を振動させて発火させればファイヤスターター、脳内電磁波を外部メディアに読み出せばテレパシー、その逆で書き込めばヒュプノ能力、自分の体の構造、またはDNAを操作すれば変身もできる。目的地に自分の構成物質を合成し、同時に現在地のそれを分解すればテレポート。
となると、「思う」能力が問題になってくる。たとえば核分裂の知識がなければ「格を分裂しよう」とは思えないので、サイコキネシスの強さは教育に強く影響されるはず。理系のお勉強だけじゃなくて、より緻密にイメージするための芸術系の教育も重要になってくるはず。あと、イメージ能力の元になるため眼の良さも必要。
といったあたりがきちんと考察されてあるSFはあまりに少なかった。私の知る限りでは筒井百々子『たんぽぽクレーター』くらいか。この作品ではこの点非常によく考えられている。さらに、この世界は人間全員サイコキノであるというのが新味。この場合、全員人間核兵器の社会でどのように安全保障をするかという問題も出てくる。とにかく完全非暴力・同族殺しタブーを洗脳以上のレベルでお互い叩き込まねばならないし、精神病の発症が世界の危機につながるので間引き必須。この辺り大変興味深かった。
この1点だけで、多々ある瑕に眼をつぶり、楽しむことができました。今時SFプロパーでは超能力物は恥ずかしくてできない風潮があるので、メジャーなエンタテインメント分野からこういうのが出ると、懐かしくていいですね。