ニコラス ハンフリー『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』

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赤いスクリーンを見ると言う例を導入に、意識とは何か、どこから来たのかを考察する一冊。

著者は感覚と知覚が独立していると主張する。これはかなりびっくりする考え方だ。つまり、目の前に赤いスクリーンがあるとして、「赤い感覚を抱くこと」と「目の前のスクリーンの色は赤であると知ること」は別の系統で行われているというのだ!
この部分に関しては、著者は確実な論証を行っている。知覚があるが感覚に瑕がある状態の例として「盲視」という障碍を挙げている。これは何も見えないと主張するにもかかわらず障害物が避けられ、問われれば色も言えると言う症状だ。つまり感覚が失われていて、知覚はあるということだ。反対の例もあって、これは「視覚的失認症」と言うそうだ。まあここは、とりあえず信じるしかない。
じゃあなんでこんなふうになっているのか。著者は進化論的なストーリーを展開する。

  1. アメーバ状の原始の生物は、自分の表面に生じた刺激に対して身悶え=反応する(原始的な感覚の発生)。
  2. 刺激に対する知識があった方が生存率が高い。おっと自分は既に刺激に対して反応してるじゃないか、じゃあこれをモニターできればよい(心的表象)
  3. 刺激を体表だけでなく外界からのサインと考えた方がさらに有利。しかしこの経路を1-2から発展的に作るのには無理がある。一から作ろう。(知覚の発生)
  4. 1-2の経路は潜在化し、脳内のループになる→自分についての感覚→意識の発生

ここもかなり説得力がある*1
しかしこの後提唱される、「意識があると自分が特別だと感じる」のではなく「自分が特別であると感じる機能が意識である」という結論には飛躍を感じる。まあ4で脳内に短絡しているので…ということなのだろうが…記述もここいらになると抽象的で。実験するわけにもいかないのだろうけど。

あと上のストーリーに従うと、人間がついつい心身二元論に陥りがちなことも説明できると言うのは面白い。ここ、どう読んでも蛇足に思えるのだけど、あまりに見事に説明がつくのでちょっと言ってみたかったんだろう^^;;。

ちなみにこの本、装丁がおっしゃれー!心理学の本と思えない。「北欧デザインの本」と言われても信じられる。写真では見づらいが、真っ赤な本体に窓の空いた白いカバーがかかっているの。

*1:ただこのストーリーに従うと、2と3の間に「外界の存在に気づく」というフェーズが必要に思える。ここすごく大きなドグマのひっくり返しだと思うのだけど。