筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』

ダンシング・ヴァニティ

ダンシング・ヴァニティ

超絶コピペ小説。もちろん本当のコピペじゃなくて、微妙に表現も細部も違う。つまりこれは多元宇宙の向こう三軒両隣あたりをまとめて描写しているのね。分岐したり、元に戻ったり、修正したりしながら語られて行く「おれ」の半生。美術家として成功したりしなかったり、息子が死んでたり死んでなかったり。

小さいループが延々つづいたかと思うと突然関係ないシーンにポンと移る、これは夢の構造でもある*1筒井康隆は昔から夢をそのまんま書くのがうまいが、今回もなー。こんな感じでいつも夢を見てるんだけど、言語化されて目の前にポンと出されるとびっくりする。コロスもすごい。いわれてみれば、夢にこういう目の前の状況や自分の心情をナレーションしながらまとわりつく、そして夢の登場人物ではない、だから下僕として扱ってよい存在ってでてくるよねー。あれが何なのかと言われれば、コーラスガール以外の何者でもないよなあ。うううむ。
筒井康隆は死を思っている。まあいい年だから当然とも言えるが、「おれ」の最期の心情描写はどんどんリアル……かどうか分かる人はいないんだけど、そんな風に思えるものになってきている。今回は多元宇宙ものである以上、「おれ」の死は一つの(どころじゃなく無限の数の)宇宙の死。ちょっと切ない?

ループと分岐で語り直され続ける一通りじゃないストーリーってつまりこれはアドベンチャーゲームの話法。実際参考文献に東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生*2が挙げられており、これは延期になっている『ビアンカ・オーバースタディ』が待たれますな。

ちょっと頭が混乱している方が読んでて面白いので、就寝儀式として読んだり、歌のある曲をかけながら読んだり、酒を飲みながら読んだりしてました。あと筒井康隆の小説に出てくる精神分析医はいつも面白いな。

*1:「夢をもとに書きました」といって整合性のあるストーリーを書く作家がいるが、あれって思い出すときに無意識に脚色してるだけだよねー。別に作品の善し悪しとは関係ないけど。

*2:すみません未読です。まあ東浩紀ならこんな感じ?という予想で…