チェンジリング

アメリカ犯罪史上最強のすっとんきょう事件の映画化。20年代のLAで、息子がいなくなったつって警察に届けたら別人をあてがわれたという話です。

あの女優さんがでている映画は

に二分されると思うのですが、これは前者の方。
革つなぎのジョリ姉が銃をぶっ放したり、男を踏んだりしません*1

さすがイーストウッド。ていねいな作りで感動したはしたんですが、素材が強すぎるか。元の実話があまりにものすごすぎる。実際、映画を見るのとWikipedia見るのと、ぶっとび度合いが100倍位しか違わないからなあ。私は替え玉事件とゴードン・ノースコット事件が同じ事件だと分かってなかったので、かなりショックでしたが。

映画としていいのは、主人公が救われる、そのやり方で。
この映画、あらすじで紹介されているような「警察のむちゃくちゃな事態収拾に巻き込まれて、精神病院に監禁までされた主人公が、協力者とともに腐敗した権力を打破する」なんて話では全然ないわけですよ。この映画、全然社会派じゃないですからね。(ここからネタバレ)
主人公クリスティンにそもそも協力者なんて一人もいない。クリスティンは終始孤独。警察は論外として、牧師も弁護士も味方じゃない。
主人公が指摘するように、牧師はロス市警の不正を正したい。クリスティンはウォルターを取り戻したいわけではじめから利害が一致していない。
牧師が手配した弁護士も同じ。ジョーンズ警部の不正を審理する審問会?では
「おめーが姑息な工作してるあいだにウォルターが死んだろうが」
という論法でジョーンズ警部を追い詰める。傍聴席は拍手喝采だが、クリスティンはキれそうになっている。息子が死んだと思ってないんだから。
警察も弁護士も牧師も、あまつさえ犯人さえもよってたかって「息子の死を認めて新しい人生を歩め」と主人公に迫る。正論臭いがそれ、本人にとってはどうしようもなく的外れなアドバイスでしかない。

だから裁判&諮問会の勝利で映画は終わらない。職場の上司とちょっといい感じになって、電話をもらう約束をする。ここでかかってくる電話が運命の分かれ道。電話が上司からのものだったら、結婚して幸せになる=あきらめルート。
しかし、そうはならなかった。電話は同じ事件の被害者の家族からで、被害者の一人が見つかったという知らせ。これで決定的に主人公の運命が定まる。客観的に見れば100%死んでいる息子を、一生探し続け得る「希望」を、主人公はここで見つけてしまうのだ。

LAの街に主人公が一人で消えて行く、つまり主人公が一人、息子を一生追い続けることを暗示するシーンで、映画は終わる。そんな、つらい…。でもそのかっこつきの「希望」だけが、主人公が生きるための救いになった、という話なのでした。

史実でも、クリスティン・コリンズは一生息子を探し続けたということです。

*1:あの奇跡のような、マンガのようなおもしろ美貌がある間はジョリ姉で行ったらいいと思うんだけど、本格的な演技ができるとこも見せないと仕事が切れるとか思ってるのかな。